それは社長手作りのパエリアから始まった(創立25周年に思うこと)

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「幸運の連鎖」

代表取締役会長(COO)渡邉 忠貴

会社創業「運良く、Internet Faxサービスを見つけた」

1995年夏の夜、横浜千草台のアメリカ人宅に呼ばれ、手作りのパエリアが振る舞われた。そのアメリカ人こそ創業者でもある社長のAaron H. Furman。彼は料理が趣味、世界中の料理を手作りして多くのゲストに振る舞う。また、ワインの造詣も深く玄人はだしでもある。

ワインを片手にパエリア鍋に舌鼓をうちながら、新しい事業の展開について熱く語り合った我々。

その結果、彼が偶然、幕張の展示会で見つけてきたInternet Faxをビジネスの柱とする会社設立の構想が固まった。アメリカのベンチャー企業NetMoves社が手掛けるFaxサービス事業を日本で展開するのだ。

黎明期「幸運なことに強力な応援団がいた」

そして1996年8月、海外向けの低価格なInternet Faxサービスを手掛ける通信業者として事業展開を始めた。まだCloud型のInternetを使ったFaxサービスが市場で認知されていなかったこの頃、広尾の知人のオフィスに間借りしながら、わずか数人で細々と始めたこのビジネスの今日の成功を誰もが見通せず、あっという間に手持ち資金を使い果たしてしまった。

しかし、強力な応援団がこの会社の将来を決定づけた。顧問として応援していただいた彼等は、幸運にも、いずれも上場大企業のOBで有力なチャネルとして大企業の基幹ビジネスにリンクしたFaxサービスへと当社のサービス提供の道筋をつけてくれたのだ。この応援団は積極的に現役時代の人脈を使って次々とビジネスの道を開拓してくれたが、会社の苦境を救ってくれたその支援と幸運を忘れてはならない。

成長期「幸運にも強力なパートナー連携が進んだ」

2001年になると、帳票ベンダーを始め、ソリューションベンダーとの連携が次々と進み、今日の強力なパートナー連携の道が出来上がり、協業が進んだ。

更にSAPのERPとの連携が進み、基幹業務、特にミッションクリティカルなアプリケーションへとサービスの幅が広がりを見せて、単なるInternetのCloud Faxサービスベンダーからソリューションベンダへと変身を遂げるきっかけとなった。

当初、ASPサービス(当時はこう呼ばれた)は必ずしも市場で認知されておらず、伝統的な日本の企業の中には手元にハードウエア(サーバー)を持ちたいとの意識が強く、我々の主張するASPサービスの理解が深かったとは言えない状況でもあった。

ソリューションベンダーへの転身「現在も幸運は続く」

2002年になると、営業担当者の採用も進み、更にパートナーとの連携も強化され、ほぼ、現在のパートナー連携の型が出来上がった(現在の主要パートナーは40社を超える)。同時にCloudに対する認知が進み、「持つより使う」の世の中の流れが我々のFaxサービスの更なる後押しをしてくれるようになってきたのも幸運、追い風となっている。

一方で、企業のミッション・クリティカルな基幹業務にリンクしている当社のFaxソリューションは、カナダに本社を持つオープンテキスト社の世界最大級グローバルFAXネットワークとつながっており、そのサービスの品質、特に堅牢な高い信頼性の維持が必須条件であるため、単なるFaxサービスベンダーではない24*365のサービスを手掛ける複合型のシステムベンダーとしての緊張感を持ち続けた未知へのチャレンジを続けている。

また、現在、市場のニーズは企業の中に眠る非構造化文書のデジタル化に向かっており、当社もソリューションベンダーとしての地位を確固たるものにするため、一気通貫のサービス、即ち、「End to End」のFaxソリューションをベースとした複雑なソリューションの構築を通じたビジネス上の価値の提供者としての道を模索している。

創業25周年を迎えた今年、コロナの感染が拡大するなかにあってもInternet Faxの需要は堅調で、この面でも幸運に後押しされているといえる。

このチャンスをものにできるかは我々の一層の努力と、パートナー企業との強力なマッシュアップがカギとなるため、更なる研鑽と経験を通じて社会に貢献したいと願っている。